地図 - ボストン茶会事件 (Boston Tea Party Museum)

ボストン茶会事件 (Boston Tea Party Museum)
ボストン茶会事件(ボストンちゃかいじけん、)は、1773年12月16日にイギリス領マサチューセッツ湾直轄植民地(現アメリカ合衆国マサチューセッツ州)のボストンにおいて、植民地人の急進派がイギリス本国議会()に対する抗議として停泊中の船舶から積荷の茶箱を海に大量投棄した事件. アメリカ史において、後のアメリカ独立戦争への転機になった出来事と評される.

発端は1773年5月10日にイギリス議会で制定された茶法であった. この法律はイギリス東インド会社がアメリカ植民地で中国産の茶葉を直接販売するにあたって、販売独占権が与えられると共に、植民地に課せられたタウンゼンド諸法に基づく関税の実質的な免税を受けるものであった. この処置は植民地に正規輸入された茶葉の値段を押し下げる効果をもたらすものであったが、植民地ではもともとタウンゼンド諸法は自分たちの課税権を侵害するものと強く反対されており、茶法に対する抗議活動が盛んになった. 植民地全体で茶葉の荷揚げを防止するといった抗議活動が盛んになる中で、マサチューセッツのみ、同地のトマス・ハッチンソン総督が荷揚げを許可したことにより、ボストン港には東インド会社の茶葉を積んだ船舶が停泊していた. こうした中にあって同地の急進派「自由の息子達(サンズ・オブ・リバティ)」はインディアンを装ってその船舶に侵入すると、積荷の茶箱をすべて海に投げ捨てた.

ボストン茶会事件は、茶法に対する反対運動の集大成であり、「代表なくして課税なし」を代表するものであった. 一方のイギリス政府は、これに強力に対応し、翌1774年にいわゆる「耐え難き諸法」を制定してボストン港を閉鎖すると共に、マサチューセッツ湾植民地の自治権を奪った. この処置は他の植民地政府への見せしめ的な要素も帯びていたが、結果として13植民地の強い反発と連携を生み、第1回大陸会議の実施に至った. そして1775年にボストン近郊での戦闘(レキシントン・コンコードの戦い)をきっかけにアメリカ独立戦争が勃発することになる.

なお、事件当時は、単に「茶葉の破壊」(destruction of the tea)と呼ばれ、その後も長らく大きく扱われない故事であったが、歴史家のによれば、1834年に初めて "Boston Tea Party" という言葉が印刷物に登場したという. "Party" には党や集団という意味もあるが、少なくとも事件当時において "Tea Party"(直訳で「茶党」)と名乗る集団がいたわけではない. 現代でも政府の権限や在り方に対する抗議者がティーパーティー(Tea Party)を引用したり、名乗る例があり、2000年代後半においてはリバタリアニズムに基づく政治運動において、ティーパーティーを標榜するものが起こった(ティーパーティー運動).

ボストン茶会事件に至る経緯は、1765年に大英帝国が直面した2つの問題に端を発する. すなわち、イギリス東インド会社の財政問題と、選挙で選ばれた代表が不在のイギリス領アメリカ植民地に対する議会の権限範囲の問題である. これらを解決しようとしたノース内閣は、最終的にアメリカ独立戦争に繋がる植民地社会との政治抗争を繰り広げた.

 
地図 - ボストン茶会事件 (Boston Tea Party Museum)
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗
アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、United States of America)は、北アメリカに位置し、大西洋および太平洋に面する連邦共和制国家. 首都はコロンビア特別区(ワシントンD.C.).

アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語  
ISO 通貨 シンボル 有効数字
USD アメリカ合衆国ドル (United States dollar) $ 2
ISO 言語
ES スペイン語 (Spanish language)
FR フランス語 (French language)
EN 英語 (English language)
Neighbourhood - 国  
  •  カナダ 
  •  キューバ 
  •  メキシコ合衆国 
博物館